東京にある榎本武揚ゆかりの地めぐり、今回は《墨田区》編です。②榎本武揚像と③榎本武揚旧居跡を訪れました。
前回の《吉祥寺》編はこちら。
目的地の榎本武揚像の最寄りは、墨田区にある東武線・鐘ヶ淵駅です。現在は都会のローカル駅ですが、開業は1902(明治35)年で歴史のある駅です。
榎本武揚は1908(明治41)年に73歳で亡くなります。銅像は、彼が晩年を過ごした墨東(隅田川東岸)の木母寺境内に1913(大正2)年に建立されました。
その後、木母寺は移転し、かつての境内は現在の白髭東アパート群の敷地になりましたが、榎本武揚像は動かされずに建立された場所にあるようです。高さ4mの台座の上に、高さ3mの榎本武揚像がそびえたちます。
銅像の背景にある建物が白髭東アパート群の一部で、このような建物が隅田川沿いに約1kmに渡り連なっています。これら一連の建物群は、関東大震災級の災害発生時に巨大な防火壁として機能するよう建設されました。
次に、同じ墨田区の向島にある榎本武揚旧居跡を訪れました。ここは彼の晩年の居宅です。
現在はマンションが建っていて、案内板(下の画像の赤丸)が無ければ、榎本武揚の旧居跡であることは全くわかりません。
現在の墨田区は住宅等が密集した市街地のイメージですが、榎本武揚が暮らした明治の頃の向島は、文化人も多く住む風流な土地だったそうです。
榎本の旧居から歩いて10分ほどの場所に、向島百花園があります。江戸時代からある名勝で榎本も度々訪れていたといいます。
江戸の風情を残す百花園から、東京スカイツリーを望むことができます。