• 社長の「手間がかかる」「わからない」をお手伝いする小樽市の社会保険労務士です

    小樽編(こちら)からの続きで、田辺淳吉の東京に現存する作品について紹介します。

    田辺は、大実業家・渋沢栄一と深いつながりのある人物です。渋沢は第一国立銀行(後に第一銀行)の頭取などを務め、2024年7月に発行が予定される新1万円紙幣の肖像になります。

    Eiichi Shibusawa
    飛鳥山公園の渋沢栄一像

    かつて渋沢が暮らしていた東京都北区飛鳥山は、現在は広い公園になっていて、渋沢ゆかりの施設群があります。今回は、田辺淳吉が渋沢のために設計した「晩香廬」(ばんこうろ)と「青淵文庫」(せいえんぶんこ)を取り上げます。いずれも、国指定の重要文化財です。

    Asukayama
    飛鳥山にある渋沢栄一ゆかりの施設群

    「晩香廬」は、田辺が清水組(現清水建設)に在籍していた1917(大正6)年に完成しました。
    清水組による渋沢の喜寿のお祝いの贈り物でした。晩香廬の名は、「バンガロー」の音も由来の一つだそうです。木造平屋建ての小亭である晩香廬は、確かにバンガローのようです。

    Bankouro
    晩香廬
    Bankouro
    晩香廬の内部

    「青淵文庫」は、レンガおよび鉄筋コンクリート造2階建て、田辺の中村田辺建築事務所時代の作品で1925(大正14)年に完成しました。旧第一銀行小樽支店の翌年です。
    青淵(せいえん)は渋沢の号です。晩香廬は渋沢の喜寿(77歳)のお祝いで、こちらは傘寿(80歳)のお祝いでした。渋沢は1840年生まれなので、完成した1925年は85歳だったはず。

    Seien-bunko
    青淵文庫
    Seien-bunko
    青淵文庫の内部

    青淵文庫完成の翌年1926(大正15)年7月に、田辺は47歳の若さで逝去します。
    対照的に、渋沢は当時としては驚くべき長寿で、1931(昭和6)年に91歳で亡くなられました。

    飛鳥山公園前には都電が走っています。飛鳥山は文字通り高台になっていて、その下にあるJR王子駅まで、鉄道としてはかなりの急勾配を都電は上り下りします。

    Toei tram
    飛鳥山公園前を走る都電

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