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    小樽の歴史的建造物の設計者と、その作品=建築物について紹介する2回目です。今回は、旧第一銀行小樽支店を設計した田辺淳吉を取り上げます。
    (1回目、佐立七次郎についてはこちらをご覧ください。)
    田辺は、大実業家・渋沢栄一と深いつながりのある人物です。渋沢は第一国立銀行(後に第一銀行)の頭取などを務め、2024年7月に発行が予定される新1万円紙幣の肖像になります。

    田辺は、1879(明治12)年、当時の東京府本郷に生まれました。東京帝国大学工科大学に進み、日本銀行旧小樽支店や東京駅赤レンガ駅舎に携わった辰野金吾に学びます。そして、1903(明治36)年に大学を卒業し、清水組(現清水建設)に入社します。
    1909(明治42)年には渋沢栄一らの欧米視察団に随行員として参加しています。

    入社からわずか10年、1913(大正2)年、34歳で清水組の技師長に就任、そして1920(大正9)年に清水組を退社し、翌1921(大正10)年に中村田辺建築事務所を設立します。
    小樽に現存する田辺の作品「旧第一銀行小樽支店」は、中村田辺建築事務所時代の設計で1924(大正13)年に完成しました。鉄筋コンクリート造地上3階地下1階です。

    Daiichi bank Otaru
    旧第一銀行 小樽支店

    旧第一銀行小樽支店が建つ小樽の色内交差点には、同時代に建てられた旧三菱銀行小樽支店、旧北海道拓殖銀行小樽支店も現存し、至近にある日本銀行旧小樽支店とともに、大正期の北海道金融界における小樽の威勢が感じられます。
    大正期には外壁のオーダー(列柱)が銀行建築の象徴だったようで、旧第一銀行向かいの旧三菱銀行には6本のオーダーが現存します。しかし、旧第一銀行のオーダーは完成時にはあったものが、途中で撤去されてしまいました。
    旧第一銀行小樽支店は、色内大通と浅草通(日銀通)の二方向に面しているのですが、正式な正面はどちら側なのか、ずっと疑問に思っています。オーダーはどちら側にもあったようです。
    なお旧三菱銀行小樽支店は、田辺の退社後の清水組によって設計・施工されたそうです。

    Mitsubishi bank Otaru
    旧三菱銀行小樽支店のオーダー

    現在、旧第一銀行小樽支店の建物は、紳士服の縫製工場として再活用されています。まち歩きイベントで特別に内部を見学させていただいたことがあります。銀行時代の広い吹抜けのロビーは作業スペースに、金庫室は製品置き場になっていました。

    小樽編だけで十分なボリュームになったので、田辺淳吉の東京に現存する作品は別パートにします。(こちら


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