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    榎本武揚(えのもとたけあき)は、幕末の徳川家の御家人(家臣)でした。
    オランダ留学などで船舶運用術や国際法を身に付け、戊辰戦争の際は江戸城開城後も官軍への抗戦を主張し、幕府艦隊を率いて蝦夷地(北海道)に渡りました。最終的に箱館(函館)の五稜郭を拠点とした旧幕府側の首領として官軍に降伏した後、東京で投獄され、およそ2年半を獄中で過ごします。
    1872(明治5)年、特赦により出獄後、北海道開拓使の鉱山検査巡回を命じられ北海道に赴きました。そして空知地方に良質な炭層があることを見出します。その後の空知炭田と、そこで産出された石炭の積出港となった小樽の繁栄は、榎本武揚の功績によるところが大きいと言えるのです。

    1873(明治6)年、榎本武揚は、対雁(ついしかり・現在の江別市工栄町)の土地10万坪、小樽の土地20万坪を開拓使から払い下げを受けて購入し、対雁に「榎本農場」を開きます。今回はその「榎本農場」跡であるという江別市の「榎本公園」を訪ねました。

    榎本公園のすぐ側には北海道の大河・石狩川の広大な河川敷が広がります。
    150年前、榎本武揚が見た対雁の風景とさほど変化がないのでは?

    そして目的地の「榎本公園」。石狩川河川敷沿いに位置する江別市工栄町の工業団地の外れにあります。

    公園というよりも「空き地」あるいは河川敷の延長といった感じの場所でした。
    芝生ではなく「草むら」の奥に榎本武揚像があります。

    台座の基礎部分は星形
    榎本武揚像。北海道の農耕馬「道産子」に騎乗しているそう。

    今回、江別市まで榎本武揚の足跡を訪ねた理由は次稿で説明します。


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